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sakura*blog PMstyle

咲良の徒然気まま日記。 ゲームやらアニメやら漫画やらの感想考察などをつらつらと。 しばらくは、更新のお知らせなどもここで。

2025'03.10.Mon
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2009'01.29.Thu
いつもの萌え日記とはちょっと違います。個人的な話で、非情に暗いかと。今はこんなテンションなんです、すみません。
ギアスのリグレット・メッセージのせいだと思う…!違うかな!あとは、いま、精神が不安定なんでそれもある。
なんかただの体験談というか思い出というか。淡々と自分(と相手)のことを語っているだけなのですがすみません。えーと、書きたかっただけなので適当に流してください…。
あ、ここ数日何やっていたかというと、AZELさんちの表紙を描いてました。いや、まだやってます。進行中。そんな間にもメッセージや本の感想等くださった方々、ありがとうございます…!ちょう嬉しかった!本当に嬉しかったです!あ、あと、レス不要の方が多くて…お気遣いに涙が出ました。不甲斐なくてすみません(泣)

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何故かここのところ、もう会えなくなってしまった人たちのことを考える。

最初に思い出したのは、自らその生を終わらせた双子の片割れのことだった。尾崎豊が好きで、いつも彼の曲ばかり聴いていた彼女。似ているようで似ていなかった片割れの知らないところで、彼女はずっと何かを抱えて生きていた。彼女が病院へ運ばれた時、夜中だというのに私は当時付き合っていた彼と遊んでいた。携帯が何度も鳴って、けれどそのときの私は「早く帰ってこいとかそういう電話だ。嫌だな」と思って出なかった。けれど何度目かにしぶしぶ通話ボタンを押したら、こっちが何かを言う前に父に怒鳴られた。「すぐに病院に行け」彼女の行った行為を聞いて私は青くなって、それでも言葉だけでは信じられなくて、とにかく急いで病院へ行った。…病室前の通路で、片割れの妹が冷たい床に座り込んでいた。私が名前を呼ぶと顔を上げ声もなく泣き出した。それだけで、ああ本当にあの子は自分で自分を終わらせようとしたんだ、と理解した。病室は面会謝絶で私は彼女に会うことができなかった。そのまま、最期まで。あの時から私は尾崎豊の曲を聴く気になれない…おそらくずっとこの先もそうなんだろう。

そして次に思い出したのは、ずっと床に臥せっていた祖父のことだった。小さな頃から私をとても可愛がってくれていた人で、私も祖父のことが大好きだった。遠くに住んでいたから頻繁には会えなかったけれど、会えたときには「おじいちゃん、おじいちゃん」とくっついていた。その祖父が痴呆症だと診断され、寝たきりの生活になったのは、私が働き出した頃だった。仕事を始めたばかりの私は祖父になかなか会いに行けなかった。…もしかしたら、弱っている祖父を見たくなかったのかもしれない。息子や娘の顔すら忘れてしまっていると聞かされていたので、孫である自分のこともわからないかもしれない…そんな恐怖もあったのかもしれない。それでも数度、連休を取って私は祖父に会いに行った。覚えていないかも、と思ったけれど、祖父は私のことをちゃんと覚えててくれて、よく来たな、と笑ってくれた。…最期の日も、そうだった。危篤状態と聞いて父と駆けつけた私は、容態が落ち着いたため翌日の仕事のために夜中に家に帰った。車での道中、山道で霧が発生したりと危険だったけれど無事に家に着いて、それからしばらくして訃報が届いた。親戚が口々に言った。祖父はお前を一番可愛がってたから、仕事があるお前を家に帰そうとしたんだね。無事に帰れるか見守って、見届けて、それから息を引き取ったんだね――。その日の夜、私は寝ないで一晩中泣いた。

ありがとう。楽しかったよ。会えてよかった。大好きだよ。また来世で。
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