……イライラする。
ルルーシュは目の前の机を指先で叩いた。
コンコンコン、と軽い音がして、視線の先のスザクがこちらに一瞬視線を流す。他の誰も気付かなかったのに、彼だけはルルーシュの行動に気付いて、困ったような笑みを見せて。
だが、それだけだ。彼はまた自分を取り囲む生徒会メンバーに笑顔を振りまくべく、意識をあちらへ向けてしまう。
(よく飽きないな)
ユーフェミアと会ったことがある。それが皆に知れてから、今までずっとスザクに話を聞く機会を窺っていたふしがあった。
本当はニーナが話を聴きたいだけなのだろうが、彼女はどうしてもイレヴンであるスザクに一人では近づけないようで。それに気付いたミレイやシャーリーが、スザクが久しぶりに生徒会に顔を出した今日、チャンスを逃すまいとお茶と菓子持参で取り囲み。そしてつい先程まではルルーシュの味方だった――唯一ルルーシュの横にいたリヴァルまでもが、高級菓子の誘惑に負けてあちらへ行ってしまった。
ブリタニアの第三皇女がそんなに珍しいのか。……それは、まあ、確かに一般人には珍しいのだろう。
だがルルーシュは、腹違いとはいえ自分の兄妹である彼女を、珍しいとは到底思わない。思うはずがない。
幼い頃は何も知らずに彼女やその姉であるコーネリア、それに今は亡きクロヴィスたちとよく顔を突き合わせていた。クロヴィスとは喧嘩ばかりだったが……コーネリアやユーフェミアとは、笑って話せていたような気がする。
(それももう、ただの偶像だ)
そんな昔の思い出など、今はどうでもいい。
彼女たちの持つブリタニアの地位は、ルルーシュの中の憎悪を彷彿とさせる。
ブリタニアの皇子皇女のその足元には、ルルーシュやナナリー、そしてマリアンヌのように暗殺された者たち――王位継承権を奪われた者たちの血が流れているのだ。
口をきゅっと結び、ルルーシュはただその光景を見つめていた。ルルも行こうよ、とシャーリーには言われたが、ルルーシュにとっては迷惑この上ない。
(そんな話題、どう反応しろっていうんだ)
頬杖をつき、目を伏せるとため息をひとつ。
スザクは、本当に彼女と仲良くなったようだった。言葉を交わす回数は少なくても、姿が見えると目を合わせて微笑んでくれる……。そんな言葉が聞こえてくる。
(本当に……いつからあんな奴になったんだろうな)
にこやかに話すスザクの様子に、小さな子供の幻像が重なる。
出会った頃の彼は、言葉も態度も今よりずっと荒っぽかった。変化のあったあの日を境にしても、今のように社交的ではなくて。
(このフェミニスト)
心の中で悪態をついて、ルルーシュは目を閉じた。
再会して、また前のように共にいる時間が作れるようになって、彼の変化に他人の影を見た。
スザク自身が話した訳ではないが、言葉の端々に、ここに来るまでの道程が窺えて。
それだけで、彼が今までにルルーシュの知らない『何か』を経験してきているのは想像できて――自分の知らないスザクがいることが何だか腹立たしかった。
ルルーシュが考えるそれらのことが憶測でしかないことは、もちろんよくわかっている。幼い頃の彼のことだって全部は知っていないのだし、知らないことが増えたとて、今のスザクがルルーシュとナナリーの知っている『枢木スザク』であることは間違いない。
でも。
(……軍なんかに入るからだ)
年齢に添って大人になった、だけじゃない。
彼の内側から、侵食している気がするのだ。ブリタニアという、ルルーシュたちからすべてを奪った『膿』が。
瞼を上げると、ぼんやりと視界がひらけてきた。
目の前に、見慣れている制服がある。アッシュフォード学園の、ルルーシュが来ているのと同じ黒の制服。
次第にはっきりしてくる映像に、ルルーシュははっと目を見開いた。
ぐるりと周りを見渡す。生徒会室だ。先程まで騒がしかったその場所は、今はしんと静まり返っている。
いったい、あれから何時間経ったのだろう。明るかったはずの窓の外は、もう薄闇が空を覆っていた。彼は窓の前に立ち、その闇の隙間から差し込む光を見つめているようだった。
彼の視線の先をまだ冴えきらない瞳で追う。雲の隙間から細く伸びる光は、まるで聖なるもののようだった。救いの手を差し伸べる女神でも現れそうな、淡く尊い光。
……ふっと嘲笑が浮かぶ。
女神など、いるわけがない。神がいるなら、世界はこんなに混乱していない。
一度目を閉じ、深く息を吸う。ルルーシュが立ち上がろうとすると、肩からするりと何かが落ちた。ぱさっ、と微かな音がする。
反応したスザクが振り返り、ルルーシュと目が合うとふわりと笑顔になった。
「おはよう、ルルーシュ」
「……どうなってるんだ?」
どこか憮然とそう呟き、ルルーシュが身を屈めようとすると、それより早くスザクの手が伸びて床に落ちたものを拾い上げた。
「ルルーシュがあんまり気持ちよさそうに寝てるから、そのままにしておいてって」
これも会長さんの、とスザクが拾い上げたストールを掲げてみせる。
「会長の仕業か。ったく、だからって放っておかなくても……」
ルルーシュの場合、授業中に居眠りをするのは決して珍しいことではない。ないのだが、まさか生徒会に来てまで眠ることになるとは思わなかった。それほど暇だったということだ、つまりは。
「ルルーシュの寝顔、かわいかったよ」
ストールをたたみながら、スザクがくすくすと笑う。
かわいかった?
台詞を反復してしばらく悩み、ルルーシュは少しだけ口端を吊り上げた。
「ふん。……言い慣れてる感じだな」
本当に、どこで覚えたんだか。
もやもやする胸を無理やり押さえつけ、呆れたような表情をしてみせる。
「まさか。慣れてるはずないじゃないか」
「人を褒めるの、苦手だっただろう? 前は。というか、俺にかわいいってのは冗談にしてもおかしいぞ、スザク」
「冗談って言うか……今のは素直に感想を述べただけなんだけど」
「………………尚悪い」
かわいいと言われて喜ぶ男がいるわけがない。
肩を竦め、苦笑する。
けれど実際は、ルルーシュの鼓動は先程より少し早くなっていた。スザクの言葉に反応している……らしい。
何が、どうして、スザク相手に動揺しなくてはならないのか。鼓動を鎮めるように胸の位置でこぶしを作り、息を吸い込んだ。
「待っててもらって、悪かったな」
何となく気まずくなって視線を逸らし、椅子を引いて立ち上がる。今日はスザクも、ナナリーと一緒に食事をとることになっていた。だから彼は帰らず待っていてくれたのだ。
ミレイの言葉を真に受けて、本当に起きるまで待ってたのはちょっとどうかと思うが、まあ、今日のところはいいだろう。……というか、寝てしまったのは自分の落ち度だ。そこは認める。
などと、ルルーシュが頭の中でぶつぶつと考えている間、スザクはじっとルルーシュを見つめていた。そしておもむろに、ストールを差し出して。
「疲れてるんだ、って。眠れるときに寝かせてあげないと、って……君のことよくわかってるんだね。彼女は」
「そうだな。なんだかんだ、長い付き合いだからな」
ストールを受け取り、何気なくそう答え返した。そのまま、ぐーっと大きく伸びをする。変な格好で寝ていたせいか、あちこちが痛い。
「だいたい、俺が眠る羽目になったのはお前が楽しそうにユフィの話なんかしてるからだぞ。視線に気付いたくせにちっともやめる気配もないし」
すべてをスザクのせいにしてしまうのはどうかと思ったが、いつもの彼ならこんな台詞も軽く受け流してくれるとルルーシュは知っていた。
返答はなかったが、先程の鼓動が未だおさまらず、そればかりが気になっていて。
だから、スザクが不意に黙り込んでしまったことに、ルルーシュはすぐ気付けなかった。
「まあいい、行こう。ナナリーが待ってる。今日は俺たちのためにデザートを作るって張り切って――、……スザク?」
黙ったまま、ただ自分を見ている瞳に気付いて、どうした? と声をかけたときには、彼の指先が自分に伸びてきた後で。
「……?」
トン、と軽く肩を押され、壁に押し付けられる。
何だと彼を見遣れば、そこには眉を寄せたスザクがいて、そして。
「スザク?」
「ごめん……。少しだけ、このまま」
壁に寄りかかった状態のルルーシュの左肩に、自分の額を押し付けてくる。
「どうしたんだ、急に」
静かに問いかけても、彼は何も答えない。
右腕は、肩を押されたときに彼に捕らわれたままだった。左腕は自由だったが、そのすぐ横に彼の右手が突かれている。どちらも動かせず、どうしていいかわからないまま視線を転じれば、目の前には色素の薄い彼の髪が漂っていた。
昔のままの自分たちだったら、からかうような言葉を投げ、呆れたような返答が返り、そして笑いながら本音をぶつける場面だろう。
だが。今は、ルルーシュは何も言葉をかけることができなかった。
ただ言われた通りにそのままじっと……時が経つのを待っているだけだった。
「―――今は」
不意に、スザクが呟きを落とす。肩の重みはそのまま。
「こうして話もできるけれど……それまで、僕の中の君は、あのときのまま時が止まっていて……でも、空白の7年間、君のことを見ていた人がいるんだなって」
「……?」
「そう思ったら、……なんだか、悔しかった」
言い切って、スザクは顔を上げた。
掴まれたままだった右腕も解放されて、ゆっくりと彼がルルーシュから距離をとる。
「当たり前のことなんだけどね。そしてきっと、感謝すべきことなんだ」
どこかすっきりしたような顔で笑うスザクに、ルルーシュは呆れたように息を吐いた。
何を言うのかと思ったら。
「お互い様だろう」
ルルーシュの言葉に、スザクが微かに首を傾げる。
「俺もお前の7年間を知らない。知りたくても、知る術がない」
「うん。でも、聞いてくれれば、話すよ」
「そうじゃない。話が聞きたいんじゃない。そのときに、自分が居合わせていない……それが」
そこまで言って、言葉を切る。
スザクの大きな瞳がルルーシュを見つめている。
「それが、……悔しいと思う」
スザクの表情が柔らかくなって、はにかんだように微笑んだ。
その表情を見ていられなくて――いや、正確には自分の顔を見せたくなくて――ルルーシュはくるっと身を翻すとドアに向かう。スザクがそれを追いかけてきて、ルルーシュより先に扉に触れる。
開いた扉を抜け、通路を大股で歩き出すと、後ろから弾んだ声が追いかけてきた。
「ルルーシュ」
「……お前のせいで言わなくていいことを言わされた」
「どうして。僕は嬉しいけど」
「こういうのは言うことじゃないんだ。言ったって、どうにもならない」
「そうだけど……」
でも、と言いながらスザクがルルーシュに追いついて肩を並べる。
「言わないで、すれ違うほうが怖いよ」
「…………」
何故か、その台詞にひっかかりを覚える。
ふたつの理由。
ひとつは、もう、どうにもならない事。今の自分と彼の立ち位置。
そしてもうひとつは。
「誰と……」
「え?」
誰と、すれ違って駄目になった?
聞きたかった言葉は、無理やり呑み込んだ。
どうしてこんなことを聞きたくなるのか、自分でもよくわからない。過去に何があろうと、今目の前にいるスザクは、スザクでしかないのに。
「……いや、なんでもない。腹減ったな」
「うわ、もう真っ暗だ。ナナリーが心配してるかもしれないよ。急ごう、ルルーシュ」
「ああ」
返事をしただけで速度の変わらないルルーシュに焦れたのか、スザクが右手を伸ばした。何だ、と見返すと、彼は小さく笑って。
「昔よく、手を引いてやっただろ。ほら。お手をどうぞ、皇子」
「ばっ……! 馬鹿かっ、お前は! あれはお前が無茶な道ばかり通るから……!」
「ははは。冗談だよ」
ほら行こう、と今度は手首を掴まれる。よろけたルルーシュにまた笑い、彼はそのまま歩き出した。
何かを言いかけ、だがふと思いとどまる。
なんとなく。
スザクとふざけ合える、この瞬間が嬉しいと思ってしまったから。
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